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2010年2月15日 (月曜日)

山羊を飼う

Cappy_3

 昨年末に初めて立ち寄ったFOIL Gallery鈴木まさこという作家の作品を購入した。しばらく額に入れる時間がとれなかったので、今になって額に収めて飾ることにした。

 この作家については何もしらないし、もっと知りたいという感じもあまりしなかった。個展からは、デザイン・イラストレーション的な要素が強いけれど深い熱情みたいなものがあった。写真を知る前は、ぼくもずっと絵を描いていたからそういう作意はとても見てとれた。

 ギャラリーの片隅のここぞというスポットに、一風違った趣で光っていたのが、この作品だった。一見、暗く、重く、何かしら怖い雰囲気を漂わせているが、一方で魔除けのような存在感があり、まるで静寂と暗闇が無音のまま何かを告げている。

 マットは大きめで、額は確かシルバーだったように思うが、ぼくには一瞬そのギャラリーが、アメリカに住んでいた頃に体験したような、ニューイングランド地方の友人宅に初めて訪れた部屋で人様のアート作品を見つけたような気分になった。それは一瞬のことだったけれど、その作品の中にある薄暗い光に照らされた山羊の姿に、自分にとっての何かを引き出されたのだ。この山羊はぼくの中に住む山羊であるかのように。

 こういう不思議な体験は今までにもあった。直感的な何かから作品と対峙するにいられないという感じ。アメリカにいた頃は若さゆえ、見るもの訪れる場所すべてが新鮮だったからしょっちゅうあった気もする(当時は作品を買うなんて事はできなかったけど。)たとえ作家の意図でなかったとしても、受け取る側は神秘のような体験と出会いに出くわす。それがアートの醍醐味と言っていい。逆に、そうした何かが作者の意図であったのであれば、それはさらに面白く、素晴らしい事に思う。

 最近、アートという実体がなんであれ、作り出されたものを通して良い・悪いを決めることはあまり意味がないように思うようになった。”何かに出会う”体験をするというのが重要に思えてきたからだ。作家は余計なことを考えず、自分の作品と向かいあえれば良い。自分の写真にもそう感じるようになってきた気がする。こういう地味な考えが、なんだか山羊座っぽい気がするのだが、そのへんは占星術学の方々にお任せってことで。

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