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2010年5月 6日 (木曜日)

1Q84 Book 3 (2010) - 村上春樹

世界はねじまがっているかもしれない。世界をねじ曲げたのは、他ならぬ人間の男であり、女である。それでも、男はたった独りの女を見つけ出し、あるいは女はたった独りの男を見つけ出す。それでも世界はねじまがってゆくのかもしれないが、男と女がうまく生きていければ、そこに光はある筈だ。

と、いうようなハッピーエンディング。謎かけや種明かしはない。それでいい。そんなことやってたら陳腐だ。そういうのを永遠と熱く考えるのも楽しいかもしれない。でも、マザとかドウタとか、空気さなぎはなんぞやとか、もう余計な小説装置はいらないと思う。春樹さんが世界中の誰にでも楽しめるような総合小説を目指しているのなら、そういう装置はもういらないと(少し前から)思っているのだけど、このBook 3は、単純に、探偵ものな展開でスリリングで面白い。それでも、何かしら感じるところが多いし、考えさせられるところが具体化された。

例えば、いままでは抽象的な”小説装置”で語られてたところが、具体的に人物のできごととして描かれているところ。それは、人の死についてだった。いままでは『エレベーター』とか『井戸』とか『森』とか『向こう側』とか、シンボリックな小説装置で語られていたところが、実際に、生と死、さらには魂のゆくえを描写するような形で、物語の中で推考されている。これは、ねじまき鳥クロニクルで、間宮中尉が長い長い手紙で主人公と読者に語りかける事で、生きていることは、過去という歴史との関連性があるということを示唆したように、多くのことを考えさせてくれる内容だった。まあ、実際に魂のエネーチケー集金人に心の扉をノックされたら怖いだろうけど、人の命には代価が生じ、何かしら支払うものも生じるということ。そうやって人は歩み、死というステージに向かう。そして逆に、物語ではあるが、『では、なぜこの人は死ななくてはならなかったのか?』という観点で読むと面白いというか興味深かった。また、主人公二人に加わってねじ曲がった人生を歩んでしまった牛河の視点が語られる。読んでて気味が悪いけど、同時に憐れみを感じる絶妙なバランス。この人の運命にも一瞬驚くと同時に、どちらかといえば不憫に感じた。宗教者は、あるいは神がいるのなら、こういう人にも恵みを与えるのだろうか?宗教的には許しになるのかもしれない。

善とはなんだ、悪とはなんだ、とかの観点で読むとさらにこの小説は複雑になってしまうので、それ以上のことは考えてもしょうがないところなのだけれども、春樹さんが一番伝えたかったのは、「男と女でうまく頑張っていこうよ」という当初から変わらぬメッセージだったように思う。これはもう、ファンだから言える好意的感想なのであって、文句なしで面白かったけど、万人にオススメできる類いの本ではない気がする。小説装置が複雑すぎたし、小説装置そのものに興味を持ったり、受け入れる読者なら良いけれど、それがままならない読者には、全く受け入れがたい物語になりえるからだ。

今後は、ドストエフスキーと一緒で、大長編一本で行くのだろか?三人称でたくさんの人物がでてきて、それぞれでぐちゃぐちゃな事を考えてて、それぞれが何かしらクロスする魅惑的な総合小説を春樹さんの巧みな文章で読めたらどれだけ楽しい事だろう!ぜひぜひ、余計な小説装置は抜きでお願いしたいものです。

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