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2013年4月21日 (日曜日)

新作のお知らせ:閃き(ひらめき) [2010-2013]

ひさしぶりの更新になります。

ここ数年、霧のある風景に心を惹かれていたのですが、そこから少しシフトしつつあります。霧のイメージは脱力的で、まやかしとでもいうか、幻想的に撮ることは難しく、撮影できる機会も稀で一瞬しかありません。撮影の時もなんだか妙な心持ちです。

ウェブサイトを作ってから10年が経ち、ウェブベースで作品を作ってきてようやく経験則から自分の撮影スタイルやらコツや勘のようなものが積み上がってきました。アナログ撮影の面白いところは無駄や失敗なのですが、今では無駄や失敗も少なくなり、撮影に入る前から撮りたい感じがはっきりしてきています。ようやくここからがはじまりです。より世界観のある自分らしい作品を撮れるように、まずは霧の中から出て、大地に足のついた写真を撮る方向に行きたいと思っています。

  新作:閃き(ひらめき) [2010 - 2013]

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2012年3月11日 (日曜日)

新作のお知らせ: 瞑想(2010-2011)

3/11いい天気ですね。久しぶりの更新となりました。

エネルギー問題の見直しを自然への恩恵と畏怖を持って共存してきた日本人が真っ先に直面する事になったのは運命かもしれません。

と言いつつ、エネルギーを使って、いままでどおり自分のエゴで写真撮りつづけています。ここ2年の作品をまとめたので良かったら見てください。

http://www.hirophoto.net/works-index-12.html

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2010年11月 9日 (火曜日)

新作のお知らせ:残響 Echo [2008-2010]

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 写真を撮ってもなお、心に残る風景。一場面。

  その柔らかな空気感や静けさ、心の落ち着き。そこに残っているかすかな音は、私たちの内側の心の声そのものなのかもしれません。

 そうした風景、ひとときは、呼応し、心の中に浮かんでは消え、 またよみがえるような大切なものに思えます。

 残響 Echo (2008-2010)

 2010年11月

 ヤマシタ ヒロアキ

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2010年8月 1日 (日曜日)

Chair, Utrecht, Amsterdam, the Netherlands, 2010

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2010年7月29日 (木曜日)

KISS, Nes, Amsterdam, the Netherlands, 2010

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2010年3月17日 (水曜日)

等伯に会い、利休を想う。

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 先週は上野に行ってきた。 いつもながら、国立博物館のキュレーターは凄い。並びも考えられてるし、当然ながら展示も素晴らしいと思う。あと毎回驚くけど、たくさんの人が大声で文句も言わずにお金払って芸術を鑑賞する日本人って偉いと思う。当たり前っちゃ当たり前なのだが、こんな国民なかなかいないと思う。

 歴史をたどれば、等伯の生涯は利休と同じで、武士との血なまぐさい関係があったように思う。下手をすればつぶされるし、うまくいっても何かと制約がかかってくる。円熟期を迎えた頃に、跡継ぎである息子を無くし、等伯の脳裏をよぎるのは北雪国の故郷だった、というのが通説。

 見事に白い。何もない。禅のいう無がある。晩年の水墨画の世界は若い頃とは別人のようだった。何もないところに屏風そのものの絹目や汚れ?が見え、もやがかった霧が効果的に存在する。空間は白をつくり、白が空間を支配する。黒は究極まで削ぎ落とされ、シンプルに、そして”侘び”ている。そこには利休の影響が間違いなくあった。無駄がなく、必要最低限の筆跡にまで到達していたように思う。その独特な間とセンス、コントラストの付け方に等伯の天才性があった。自分でも自信があったのだろう。系譜に”雪舟から5代目”と書き込んだらしい。

 松林図は素晴らしかった。けど、よくわからなかった。なんで不可解だったかというと、等伯の天賦であった”間”そのものにある。近づいたり、離れてみたけれど、白がうまく支配していない。どこか松林とのバランスに欠けているように見えた。。。だが、離れてみても画面高さ三分の一ぐらいは人込みで見えないので、贅沢に独りで鑑賞する事ができたら、全体が見え、感じるものが違ってくるだろうな、と思えた。どこか晩年のテーマである霧がその何もない空間に”見えてこない”ように感じた。

 あと嬉しかったのは、利休の肖像屏風が見れたこと。あとで図録を読んでわかった事だけど、利休の死後5年たってから、等伯が描いた肖像画だったということ。生前の利休をスケッチで描きとめていたらしく、おそらく秀吉が少々弱ってきたところで後世に残す為に描いたのかな?とか勝手に妄想した。笑 凛としていて、厳しそうで、でも融通も効きそうな利休の肖像画。見ていて心から楽しかった。

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2010年2月15日 (月曜日)

山羊を飼う

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 昨年末に初めて立ち寄ったFOIL Gallery鈴木まさこという作家の作品を購入した。しばらく額に入れる時間がとれなかったので、今になって額に収めて飾ることにした。

 この作家については何もしらないし、もっと知りたいという感じもあまりしなかった。個展からは、デザイン・イラストレーション的な要素が強いけれど深い熱情みたいなものがあった。写真を知る前は、ぼくもずっと絵を描いていたからそういう作意はとても見てとれた。

 ギャラリーの片隅のここぞというスポットに、一風違った趣で光っていたのが、この作品だった。一見、暗く、重く、何かしら怖い雰囲気を漂わせているが、一方で魔除けのような存在感があり、まるで静寂と暗闇が無音のまま何かを告げている。

 マットは大きめで、額は確かシルバーだったように思うが、ぼくには一瞬そのギャラリーが、アメリカに住んでいた頃に体験したような、ニューイングランド地方の友人宅に初めて訪れた部屋で人様のアート作品を見つけたような気分になった。それは一瞬のことだったけれど、その作品の中にある薄暗い光に照らされた山羊の姿に、自分にとっての何かを引き出されたのだ。この山羊はぼくの中に住む山羊であるかのように。

 こういう不思議な体験は今までにもあった。直感的な何かから作品と対峙するにいられないという感じ。アメリカにいた頃は若さゆえ、見るもの訪れる場所すべてが新鮮だったからしょっちゅうあった気もする(当時は作品を買うなんて事はできなかったけど。)たとえ作家の意図でなかったとしても、受け取る側は神秘のような体験と出会いに出くわす。それがアートの醍醐味と言っていい。逆に、そうした何かが作者の意図であったのであれば、それはさらに面白く、素晴らしい事に思う。

 最近、アートという実体がなんであれ、作り出されたものを通して良い・悪いを決めることはあまり意味がないように思うようになった。”何かに出会う”体験をするというのが重要に思えてきたからだ。作家は余計なことを考えず、自分の作品と向かいあえれば良い。自分の写真にもそう感じるようになってきた気がする。こういう地味な考えが、なんだか山羊座っぽい気がするのだが、そのへんは占星術学の方々にお任せってことで。

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2009年12月 6日 (日曜日)

新作のお知らせ:「共鳴」

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 新作ができました。
 今年9月に訪れた琵琶湖中心の内容となってます。
 来年、これをボディに個展に望みたいと思います。
 みなさんにお会いできるのを楽しみにしつつ。
 ではまた。
 

 山下 廣章 12月6日

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2009年11月23日 (月曜日)

セバスチャン・サルガド展

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 サルガドの写真に出会うのは、ニューオーリンズのギャラリーで見て以来。10年ぶりぐらい。

 デジタルは使わないと言っていたサルガドも、いまやインクジェットを使っていた。あの真っ黒で重圧な黒はそこにはもうなかったけど、逆光にたたずむ人々の眼のひかりや、ハイライトさえおろそかにしないトーンの美しさはデジタルでも気品を失わずに表現されていた。とても大きなプリントに、黒の額。あくまで技法はトラディショナル。
 
 でもこの人のすごいとこは、技術以上に、経済学者から転職した写真家としての眼にある。まるで”業”を感じるような群衆の写真。絵画のようだけど、神の眼を感じさせる。点のように見える群衆の中の人間ひとりひとりが、集合体となって意思や魂があるような事を彷彿させる。個人のポートレートを見ると、そこにはメッセージのような、その人の眼が自分の眼と会う。力強い写真だ。

 以前は、飢饉の写真とか、残酷な現実の写真を撮る人でもあったけれど、おそらくここ10年で、この人なりの悟りとか決意ができたのだろうと思う。痛々しいだけの写真で飯を食うのはモラル的におかしいと考えたんだと思う。以前のような痛々しい写真は少ない印象を受けた。

 以前の写真のタイトルにあるように、そこには地獄のような場所に生命を受けた人でも、強い意思や希望や、人間としての”Grace”を持って生きている。そしてサルガド自身もそういう尊厳を見つめて写真を撮り続けている。作品から伝わってくるそうした気品がある点に感動する、素晴らしい写真展だった。サルガドがこのままこうしたドキュメンタリーを撮り続けるのか、別の視点になっていくのか、とても興味深い。

 写真展をしめくくる最後の2枚は、アフリカの大地に力強く生きる人々を表現するかのような、住人と雄牛たちの写真だった。

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2009年7月 1日 (水曜日)

新作のお知らせ:静める光

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 3月に新作「小宇宙」をまとめたのですが、その後すぐ、この「静める光」を作ってました。何ヶ月か前まで寝かしておいたのですが、寝る子は育たず。。。そのまま寝かすのも前に進めないので、アップしました。



 撮っても撮っても満足できない! もっと良い写真が撮りたい!



 他にも寝かしている写真はあるのですが、まだまだ、まとまるまで寝かしつづけます。今までが、まるでピッコロ大魔王がシンバルを産むかのように、馬鹿みたいにポーンっと自分の手から手放しすぎてたのをつくづく反省してます。永く寝かして(ほって)おいてから、完全に忘れた状態でみると分かる事が多いのです。写真は、本当にいろんな事を教えてくれます(が、人間的成長がある!とは言えないようです。。。)



 この分だと気持ちの問題ですが、「ただ個展を開く」というのは嫌なので、もっと探ってみようと思います。そろそろプリントもしないといけない。



 新作で1枚でもみなさんの心にとまるものがあれば幸いです。

 

 山下 廣章 6月末日

 

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