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2012年8月12日 (日曜日)

Ocean, and mountain

Sea

夏になると海がみたくなるものですね。「海をみる」っていう言葉からは、水平線をみたり、風を感じたり、澄んだ空気を感じたり、波の音に耳をすませたり、砂浜をサクサクと歩いたり、とかそういうの全部をまとめた感覚を思い出します。その感覚を求めて海に見にいきたくなる。

いっぽうで、「山を登る」っていうのは、「海をみる」のとちょっと違ったものがあります。苦しいのはわかっているのだけど苦しさのことは忘れていて、とにかく山を登って、緑や光や空気を感じつつ、自然と一体になるかのような体験をしたい、という感覚を求めて山に登りたくなるんですね。

夏は、海にも山にも行きたくなります。海もみれて山も登れたらいいなとも思うけど、そんなとこなかなかないよな〜。 (写真はバルセロナでロープウェイに乗って登ったモンジュイックの丘にあるお城からみた海。天気が悪かったけど、それでも素晴らしかった。)

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2012年8月 2日 (木曜日)

La Sagrada Familia

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ガウディにはびっくりした。想像以上にびっくりした。建築、アート、宗教、街おこしとかの枠にはめることができない。ガウディって体験するものであり、体験しないとわからない体験そのもの。バルセロナに訪れる前にいつかは行きたいなと思ってた時の自分と、今になってぼんやりあれはなんだったんだろな?と改めて感じとってみる自分とは何かが変わったようにも感じる。そうとしか言い表せない。

ガウディ体験以前は、そのうち完成に近づくみたいだからある程度完成してから見てみたいな〜とか勝手なお気楽な感じで思っていたのだが、いざ観たら何度でもみにいきたいなあと思った。それはバルセロナという街が予想以上に肌にあったというか、西洋文化圏でも違和感がないというか、気持ちの良い街だったからでもある。

一部の人は、2024年にはサグラダファミリアを完成させると言っているようだ。政治や権力的なこともいろいろとあるのかもしれない。でもガウディを体験するとわかるが、おそらくガウディは完成しようがしまいが気にしないのではないか。ガウディは、自分が手にかけたものを自分だけのものとか依頼人のものとかは思っていない。うまく言葉にできないのだが、文化的な家を増やし、街をつくり、世界を作っていこう!というようなポジティブなヴィジョンがある。人々の生活ベースとなる家をつくり、技術や新しいアイデアを磨き、良いものを残して共同社会を作ろうというような思想がある。

だから、サグラダファミリアを永遠に作りつづけるのも人間次第であるし、完成を望むのならそれも人間次第。でも、ガウディの思想は建築家に限らず人間ひとりひとりにあってよいものだ。その思想は死をも超えて、人間から人間へ、世代から世代へ伝わっていく。

ぼくにとってのガウディは、そのような”体験”だった。

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2012年7月31日 (火曜日)

Barcelona, 2012

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7月初頭は、仕事で1週間程バルセロナにいました。夜の10時ぐらいまで陽が落ちないので、仕事が終わった後はガウディやらゴシック建築やら要塞都市を散策。ガウディや街並みをはじめ、ひさしぶりに感激するものが多く、今でもバルセロナの街が深く心に残っています。

ただ、旅というのは、何気ない一瞬がとても心に残っていたりする。それは偶然に起こった出来事であれば尚の事に思える。今回は、ふと入った古本屋さんで好きな音楽が聴こえてきた瞬間だった。書きとめておかないと忘れちゃうような、なんでもないことなのだけど、店に入った瞬間、ブラームスのクラリネットトリオ(op.114)の第二楽章がラジオでかかったのだ。なんだか気分がよくなって、そのまましばらく写真集コーナーで何かお買い得なお宝がないかを探しながら演奏を聴いたのだった。

サグラダファミリアの内部で天井を見上げた時も、モンジュイックの丘から海を眺めた時も、グウェル公園からバルセロナの街を一望した時も、どれもこれも感激した体験だったけれども、毎日を過ごしていてある瞬間にふと思い出すのは、なんの変哲もない偶然起こった一瞬だったりする。

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2011年5月15日 (日曜日)

あたらしい考えを持って

携帯電話を持ち始めてからずぅーと浮気せずにひとつの携帯会社を利用してきたのですが、積み上げてきた特典やら全てを捨てて、4月からiPhoneに変更しました。以前からMacフレンドリーユーザーだったので、ユーザビリティにしろ機能にしろ全てにおいて満足しているのですが、以前の携帯電話ではネットはまったく利用しない人だったので、スマートフォンへ移行してからは驚きの連続でした。

チュニジアやエジプトで生じた人々の運動がiPhone等のネットコミュニティから生じたものであったのなら、それはそれで素晴らしいことに思いますが、社会にそうしたネットを利用したシステムが導入されるのはまだまだ先のようにも感じます。おそらく、その善し悪しや実行は、ぼくよりも後々の世代に委ねられるでしょう。個人的には、ぼくが生きている間に、デジタルツールが有益な道具として、20世紀から受け継いできた悪いところを見つめ直すために利用されればいいと期待していますが、それすらもどこまで実現されるかはわかりません。また過去の歴史のおいても、新たなシステムも便利な道具も、使いこなされ、消化される頃にはまた新たな問題がでてくるものです。

人類が繋がり合い、助け合うためには、あまりに多くの歴史やシステムを通過しなければならないのに、二千年以上の時間を経過しても尚、人々はそんなに優れた知恵や経験の多くを共有しているとも思えません。すぐ近所に住んでいる筈のおじいちゃん、おばあちゃんの生き様や知恵さえ、その人のまわりの何人が受け継いでいるのかわからない程度の、非常に弱々しい情報伝達力だと思います。そして、ぼくが生きている間には、どこまで何を次の世代に伝えられるのか、残せるのか、そんなことを考えるようになりました。

日本人は自然と共に生きる術を育んできた民族と信じてきましたが、現在、既に土も海も空気ももともと自然界にない物質で汚されています。今回の大災害についても、電気を使いこなし、発展してきた社会を見つめ直す必要があると言えます。健康に害がないと専門家や推進派が熱弁しても、長年愛した土地へ帰れなくなった人々がいて、汚された自然が日本にできてしまったのは”恥ずべき事”です。いますぐ全てを消し去り回復することが叶わないのならば、少しずつでも今までの考えを間違えとして見直し、その上で次の新しい考えを展開させていくことが、当然ながら必要です。確かに、意見を言うのはたやすいという批判や反対意見はあると思いますが、まずは意見がでてから新しい計画がうまれ、その実現への展開が生まれます。全てが否定され批判され、衝突してしまう場合もありますが、今、ここから立ち上がるには、衝突してばかりいられないという事も鮮明になってくる筈です。必要なのは、できるだけ多くの人が賛同できる新しい前向きな力なんだと思います。後の世代が相変わらず20世紀の負の遺産に悩まされるような力は、新しくも前向きでもありません。

ぼく自身、何をどこまでできるのかわかりませんが、今後、過去を反省した前向きな発想が生まれ、その新しい力と共になれるように生きていきたいと思っています。

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2011年2月22日 (火曜日)

ブゥワーグァ食べたい

Burger

 アメリカに住んでた頃は学生だったので、夕食は3ドルですませてしまう、というような超暴力的な食生活を送っていた時期がありました。朝はシリアル、昼は25セントのラーメン袋、夜はマクドナルドのトゥーチーズバーガーセットーー昔話でこその笑い話である。当時は、親のすねというより骨までかじっていたのであって、そんな生活でも満足していたから貧乏学生とか苦学生なんて言葉など思いも浮かべなかった。辛い事もあったような気もするが、それなりに楽しんで暮らしていた気がする。

 アメリカの食文化については、また別の機会に書こうかと思っていますが、パンケーキの他にぼくが時々無性に食べたくなるのが、ブゥワーグァです。バーガーじゃありません。”ブゥワーグァ”です。日本でもアメリカでも、1,000円ぐらい出してしっかり食べるやつをブゥワーグァと呼んでいます。特に深い意味もこだわりもないのだけれど、ときどきしっかりミート食べてやろうじゃないの!という時に思い浮かべるのが、すなわちブゥワーグァなわけです。わかって頂けるかな?

 先日、代々木公園すぐ側のARMSというブゥワーグァ店に行ってきました。店の雰囲気も良く、バニラシェイクも美味しかった。落ち着いた店内で、お昼の強い日差しを窓越しに見ながら、しっかりとミート食べてるぞ、という気になりました。お腹いっぱいの後は、代々木公園から明治神宮まですたすた歩き、運動もでき、またブゥワーグァ食べちゃうぞ、と言う気になれました。あれ、また行かないといけないじゃん。大きな公園に、ブゥワーグァ店。良いですね。絶対流行ると思いました。他の公園にもないのかな、ミートがっつり楽しんでね、的なブゥワーグァ店は?

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2011年2月20日 (日曜日)

ま、いっか。

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 何かを夢中になって続けたいと思うけれど続かない、っていう事ってないですか? 

 ほっこり肩の力のぬけたエッセイ風のブログを書くぞ、と意気込んでみたものの、気がついたらもう2月半ば。何かを続ける前に、「え?そんなこと書いたっけ?」とか「そんなこと意気込んでいたっけ?」と忘れている始末。年をとると時間が過ぎるのが早く、物忘れが頻繁に起きている気がする。ひどいものだ。一方で、こんなんじゃいかん、と思いながらも「まあ、いっか」と開きなおってしまう。20代から30代前半の意思の強さや思い込みの強さはどこにいったのやら。30代後半は経験が心に余裕を持たせているのか、”物事の流れ”みたいのを行動する前に落ち着いて予測でき、視野を広くもっていられる。良いのだか悪いのだかもわからない。

 楽に続けているものは、幼少の頃から20代のうちに”擦り込まれた”ものである事が多い。新たに興味をもって、そこに関心を注ぎ込むのもなかなか大変。もちろん世の中には年をとっても学習能力の高い人もいるんだろうけど、ぼくには無さそうです。いくつか持っている自分の中の感覚を研ぎすましていくのが好きなんだと思う。単細胞なおばかさん、ってことでしょうねえ。

 日常の感覚に慣れてくると、リフレッシュする必要があります。いつも見ている通勤路や街並みに頭が慣れてきて、どこか遠くにでかけたくなる。新しいものを見つけるには、やっぱり旅にでるのが一番。ぜんぜん知らない土地で、目にしたことない風景や人や食べ物にめぐりあいたくなる。

 2月は冬の寒さに心も身体も疲れがでてきて、何かしら身体にでる。。。といっても今年は食べ過ぎでお腹を壊してしまった。日記を見たら毎年同じ時期に同じような事が起きているので、毎回自分が情けなくなります。問題は情けないと思いながら、反省してないこと。「ま、いっか」と開き直るのもほどほどにして、学習しないといけないですね。

 写真は、正月早々気分新たに撮った部屋の様子。ピンクの猫さんが印象的でしょう? 名前は、まだないです。

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2011年1月 5日 (水曜日)

Happy 2011

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 A Happy New Year!    あけましておめでとうございます。  デジタルコミュニケーションから遠ざかりつつある中、ブログで文章を書いたり読んだりするのは今でも好きです。今年はつれづれなるままに、肩の力がぬけた、ほっこりしたエッセイ日記を書けるようにしたいとも思ってます。今年もよろしくお願い致します。  

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2010年9月18日 (土曜日)

齊藤江湖「はんこ職人の仕事と書展」

 写真は嘘をつくけれど(白い嘘ってやつですが)、「書は嘘をつかない」気がしてる。

 見ていてため息のでるような美しい字や、見た瞬間感激するような、非の打ちどころのない均整のとれた字もいいけれど、その人の性格がでているか温かく味わい深い字も素敵だ。墨汁が紙に染み入る瞬間って、鉛筆やボールペンが紙に擦れる瞬間とは違って、何か特別なものが生まれている感じもする。

 いまの時代、人は鉛筆や筆を使わず、多くがコンピュータを使ったデジタル化の方向にあり、誰にもわからない未来へエコ重視やグローバル化を理由に、一辺倒な、管理するには都合の良い人間ばかりが作り出される方向へ向かっているような気もしてならない。本当にそうなってしまっているのなら、ちょっとこわい。例えば、6歳の子がはじめて書き初めをするのに、教師や親がエコを理由にもったいないから1枚書いたら終わり、なんてこともありえる。お子さんがいる人、どーなの?

 ぼくの書き初めの思い出は、親に泣かされるまで何度も何度も、何枚も何枚も和紙を使って書をかかされた。当時は、まるで何かのペナルティみたいに感じていたが、そもそもそういう体験は大人になってからでは自らすすんでしない。正座して足は痛いわ、忍耐力や集中力はマックスに必要だわ、手は墨で汚れるだの、を理由に。でもなぜか、大人になるとペナルティみたいな子供の頃の試練を、自らなぞりたくなるもの。不思議なもんだ。でも、つねづね書をやりたいと思っているのだけど、未だ手をつけてない。ゆーきゃん検討ですかねえ?

 さいとーさんの書は雰囲気があります。場所を滋賀が近江八幡から東京が谷中へ。去年、近江八幡のお店を訪れたのですが、谷中でも、のびやかな自然と書を感じることができて嬉しかった。近江の雰囲気というか言葉にできないんだけど、書だけでなくギャラリー全体の空間がいいんです。また、見たいなあ。そして、こういうのを見て、書をはじめる子供たちがいてほしい。政府や学校の大人たちの考えに惑わされない芯のある心と夢を持ってほしい。

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2010年5月13日 (木曜日)

Think Locally. Act Globally. Take everything slowly.

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熊本県が阿蘇市。北海道の大地を初めて目にした時も驚いたけど、阿蘇の豊かな自然も驚きの連続だった。本当に、日本って旅するのが楽しい国だ。

近年、Think globally, Act locally という言葉があるけれど、ぼくは前々から逆だと思っている。どの国もまず自国を見直すべきだ。自国を見てうまくいってないのなら、世界を見てもうまくいかないだろう。人類は一つ、世界は一つ、国々の情勢や経済や時事祭典がだんだんと近づくことで、人類はひとつになれる。それは間違いない。でも残念ながら、冷静に、現実的にみて、ぼくが生きているうちはそれは起こらない。そういうのに近い、何か素晴らしい出来事を体験できれば嬉しいけれど。

これは、自分に近い人たちとうまくいかなければ、外でもうまくいかないのと同じかもしれない。ひねくれでも悲観してるわけでもない。生きるって、人と人の繋がりだ。ぼくだって過去から現在を生きて、未来に何かを繋げるちっぽけな人間のひとり。まずは、ローカルから行こう。ぼくなりにできることを行い、小さな和を育んでいければ、それでいい。世界に輪が広がるのは、ちょっとずつでいい。

ゆっくり夢をみよう。いつの日か、人類はひとつになる。この広くて小さい、美しい惑星で。

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2009年11月 3日 (火曜日)

A snail it is.

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銀閣寺で出会ったカタツムリくんです。今頃どうしてるだろう?
それにしても今夜は冷えるなあ。既に湯たんぽ使ってます。

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